2014年10月29日水曜日

「朝型勤務が注目されている」という話に反発してみる

読売新聞で「朝型勤務で効率アップ、企業に広がる・・・残業削減」という記事を見つけた。(元記事はこちら)
 
 早朝に出社し夜の残業を減らす「朝型勤務」が企業の間に広がりをみせている。
 仕事を効率化させ、社員の私生活の充実や、残業代など経費の削減につなげるのが狙いだ。
 政府も6月にまとめた新しい成長戦略で、仕事と生活の調和を取るために朝型勤務の普及をうたっている。
 ただ、同じ企業内でも部署ごとに仕事内容が違うため、一律の義務づけは難しそうだ。日本総合研究所の村上芽めぐむさんは「(主に社内で仕事が完結する)総務系などの部門では実施しやすいが、社外とのやり取りが多い部門は朝型に抵抗を感じるだろう」と指摘する。 


取り組んでいる企業としては伊藤忠、八木通商、オプトといったところが取り上げられているのだが、「うーむ」と思うのは、朝型勤務が、いわゆる「残業代削減」という文脈で語られているところ。これは、政府の改訂成長戦略でも同様で、「働きすぎ防止のための取組強化」という文脈なので、フレキシブルなワークスタイルの模索と言うより、経営効率のよい「働かせ方」という臭いがして、このあたり好意的でない話もちらほらみかける。

  J-CAST ウオッチ  "政府主導の朝型勤務 「大きなお世話」"
 
 
個人的にいうと、「一律に朝型勤務」というのは単純に労働時間をシフトさせるだけの話だから、時間外短縮の効果ではどうかな、という気がするし、少数の取組なら穴場効果もあるが社会全体が「朝型」になるということは保育所から通勤とか結局、今の状態の時間繰上げになるだけでは、と思う次第。

望むらくは、働き方の自由化というか、フレックスや在宅勤務、ノマド勤務を含め、全体としての勤務環境の緩さの実現手法と、きちんとした勤怠管理、実績管理、貢献度管理(よく実績だけで仕事の成績を評価しようという話が短絡的にでるが集団的組織で仕事をする場合、組織貢献度的な側面も考えないとささくれた職場になってかえって組織全体の成績が落ちる気がしている)の手法の確立がまず全体として必要なのではないかと思う。

一頃のように「ノマド」が一番効率良く生産的な働き方といった論説は、生産現場や研究現場を含めた労働現場全体を見ていない話であったと同様に、今回、「朝型勤務礼賛」もそれがすべての解のようになってくると、これまた全体を見ていない、全体最適を考えない話のように思える。

まあ、あまり一つの方向ばかりに偏らず、、これはこれ、それはそれ、あれはあれ、と複眼的にやったほうがよいのでありましょうな。
 

手話を音声に変換するデバイスがもたらす世界

「IRORIO」のサイトでこういう情報を発見。(元記事はこちら)
UNI」というデバイス。タブレット端末のような見かけだが、内部には手の動きを認識する最新のモーション・センサーが取り付けられており、なんとその場で手話を音声に変換してくれる
    (中 略)
「UNI」は、現在クラウドファンディングの「Indiegogo」にて12月20日まで資金提供を受け付け中。
残念ながら、日本語にはまだ対応していないようだが、未来の社会への投資だと思って、出資してみては?


健常者→障がい者の意思伝達の方法ではないので、障がいのある人にとっては、まだまだ、という思いもあるかもしれないが、ICTや新しいデバイスがキャズムを埋めようとしている試みとして評価していい。健常者→障がい者への対応、例えば、AIを使って音声を手話や骨伝導に変えるとかのことができるようになれば、双方の意思伝達のストレスが激減するよね、と思う。

こうしたことは、「言葉の問題」にも言えて、非英語圏の人間が言葉のハンデを超える手段として、英語に堪能になるということも選択肢ではあるが、google翻訳のように外国語を母国語に引きよせる取り組みがもっと加速されてもいいような気がする。それは母国語が英語でない我々が先導し、英語圏の人々へリリースするという動きが大事で、googleなど英語圏の方から非英語圏のほうへよってくる形ではイニシアティブを向こうにとられたままで、向こう側から必要の薄い言語 と思われれば、はいおしまいということにもなりかねず、それは中国経済の大躍進で日本語を学ぶ欧米人やアジア人が減ったという現象の再来が頭をよぎるのである。

このあたり、「外国語ができる」というのは一種の売り込み材料だから現実的にやる動機が・・・、ということにもなるんだろうが、「ワークシフト」で描かれていた、仕事や業務のグローバル化はさけては通れないだろうから、未来において、「日本語」を母国語環境とする人々が悲哀を感じないように、まとまった形で始まらないものか、と夢想するのである.。

2014年10月28日火曜日

自炊したkindleのmobi、koboのcbzファイルを「iPad」で読む


持ち歩き書籍の減量化のため、書籍を自炊(PDF化)し、何冊かKindeやKoboで読む用にmobiやcbz形式にChainLPで加工してそれぞれの端末で読むということをしている。

KindleやKoboの端末にへは、send to kindle でkindleの個人用のクラウドに送るか、あるいはKinldeやKobo端末とPCをUSBでつないでファイル転送するのが通常なのだが、今回は、iPadで無理やり読めないか、と試してみた。

条件は

①ファイルはDropboxに入れて、そこからダウンドロードする
②ファイルはkindleやKobo用に余白を切ったり、スキャンデータのページ調整をしたmobiあるいはcbzファイル

ということで、まずはmobiファイル

Dropboxでファイルを選択し、開こうとすると「読み込みエラー」がでるので無視して、「アプリを選んで開く」を強行。
ここで「Kinldeで開く」を選び、Kindle for iOSのアプリで開くと、
 
iPadの画面大になったmobiファイルを読むことができる。


cbzのファイルの場合も「読み込みエラー」が出るのだが、「アプリを選んで開く」ではKoboアプリがでてこないので、別のアプリ「SideBooks」を使う。無料アプリなので財布には特段影響なし。


このアプリの下の方に小さく「dropbox」というアイコンがあるのでこれをタッチ。
 Dropboxにアクセスできるので、保管したところからダウンロードして開けばOK。


画面は同じくiPad大に拡大されている。
しおり機能もあってi文庫風ではある。しおりのメール転送機能もあるようす(試していないので挙動は保証のかぎりではないが)
 
iPadぐらいの画面サイズであれば、pdfファイルをi文庫でダウンロードして読めば、他所から借りた書籍などの必要なところをスキャンした見開きデータもあまりストレスなく読めるので、ここまでやらなくてもいいかもしれない。
 
iPad miniぐらいのサイズだと必要かもしれない。当方、iPad miniは持っていないので、そのあたりは検証できないところである。

2014年10月26日日曜日

佐々木正悟、青木さやか 「書類整理ハックス」(ソーテック社)

すでにコモディティ化してきているともいえるScansnapなどのドキュメントスキャナを使ったファイリングの、改めての入門編といったところだろうか。
こういった類いの書籍は、そもそもなぜスキャニングするのか、とか、いくつかの機種を選定して操作方法やらが書籍の半分ほどを占めてしまうことがよくあるのだが、類書と違って、「とにかくスキャニングする」を大前提にして、方法論からテクニックまでが記されているのが本書の良いところ。

いわゆる「自炊のススメ」というより紙データをどうするかが中心で、スキャンのメリットが,マニアックでなく説かれているのも好印象で、たとえば

紙もデジタル化したからといって、問題が何もなくなるわけではないが、少なくとも物理的にはちらからないし、テクスト化すれば検索できる。
最も重要なメリットは「クラウドに一元化」できること。どんな情報でもiPhoneやiPadがあれば読めるようになる(P48)

と割り切られているところが小気味よくてよい。

本書を読みながら思うのは、やはり、未だ「紙」のデータの豊富さというか、多さだろう。一頃、メールやウェブサービスによって「紙」媒体がとってかわられるような話があったが、自分の身の回りを見渡しても、電気などの請求書、企業からのお知らせ、ダイレクトメールなどなど日常生活で「紙」によって伝えられてくるものは大量にあるし、仕事上に至っては、紙書類は減ってはいるのだろうが未だ膨大であるという事実である。
だからこそ自衛の手段として、こうした「スキャニングのススメ」がまだまだ枯れたネタにならないところで、このあたりは同じような時期に流行った「ノマドのススメ」と違うところだ。


いくつか本書のトピック的なところを紹介すると

従前のドキュメントスキャナを使った紙データ管理に加えられているところは「スキャンしたデータはクラウドにアップする」(P68)、
「大事なものはクラウドのあげる」というルールづくりは不要。買い物メモだろうと、落書きだろうとかまわないからとにかく機械的にアップすること。クラウドにメモの履歴、メモの歴史を築いておく(P72)

とクラウドでの管理が前提となっているあたりは、Dropboxなどのクラウドサービスのコストがとても安価になっている時代背景とマッチしているといってよいし、

レシートのスキャンは習慣化する。1日分まとめてスキャンする。予定というものはカレンダーを見ればなにがしかのことはわかるので、これに紐づけできるようにする(P99)

といったところは昨今のライフログ・ブームにも沿ったところではある。

また、取り込んだ情報の整理に「ピンポイント情報」かどうかという尺度を入れて

「ピンポイントで必要になる情報」は「それが何であるか」で分類する、例えば「名刺」であれば「名刺」というフォルダやEvernote の「名刺」と名付けたノートブックにいれる、とか
「領収書」「交通費」「クレジット明細」など「それが何であるか」で分類整理するのがもっとも現実的
ピンポイント型情報では、「それがいつ利用したものか」をスタンプする
ピンポイント型情報の書類は「もらった日に取り込む」「手に入れた日に取り込む」という習慣をつける。「一言コメントをいれる」習慣をつける)日付、場所など)(P92)

といったところも参考になるか・・・

何にせよ、紙データのスキャニングは、始めないことには実感しようもないものでもであることは事実で、個人的な経験でもやりはじめると、みるみる周りの紙が減っていってすっきりしていくのも事実であるし、スマホやタブレットを使っている人であれば、いつでもどこでもスキャンしたデータにアクセスできる便利さはこたえられないものがある。いきなりハイエンドの機種には敷居も高いかもしれないので、モバイル用のものからスタートするというのも一つの選択肢、本書の購入とセットでドキュメントスキャナ・デビューというのもいかがか、とおススメする次第である

2014年10月25日土曜日

「買い物難民、2025年には598万人に」に思う、集中か分散かの選択

読売オンラインの記事で
 
 農林水産省の農林水産政策研究所は、自宅から生鮮食料品を扱う店まで500メートル以上あり、自動車を持たない65歳以上の「買い物難民」が2025年に全国で598万人にのぼり、10年の382万人から200万人以上増えるとの推計をまとめた。
 
  ( 中 略 )
 
推計によると、買い物難民は、「都市的地域」と「農村地域」のいずれでも増加する。より顕著なのは「都市的地域」で、10年の181万人が25年には349万人とほぼ倍増し、「農村地域」の249万人も上回る。
 
 
というのを発見。
 
日本創生会議が人口激減のシミュレーションを発表してから、人口減少問題や地方の活性化で喧しいのだが、それと同等に。この「地方部、都市部問わず買い物難民増加」の推計もまともに考えないといけないことではないか、と思う。
というのも、創生会議のシミュで人口が持ちこたえるところである都市部ですら「買い物難民」が増加するということは、マスとしての総人口論ではなく、ミクロの個人の暮らしが成り立っていかない、ということを示しているのではないかと思うからである。もちろん、体の丈夫な若い世代や車の運転できる層が引き受ければいいんじゃない、ということかもしれないが、車の運転ができる層が、周りの老人、子供、幼児、障がい者などなど数多の「車の運転ができない人」の買い物や日常生活の細々を代行できようとも思えないのである。
 
こうしたときにとかくコンパクト・シティ、都市化と集中化を進めようということになりがちなのだが、この際、分散して住む、その際の生活手段の解決を機械的な仕組みを使ってなんとかする、てな方向にいかないものだろうか。
というのも、集中化っていうのは手っ取り早いかもしれないが、集中化は一頃のような過度の競争と周辺部の荒廃を招く公算が高い。それに人間というもの、孤立して快適生きていける動物ではないが、さりとて、ひどく密着して生きるのが心地よいほど群集的な動物ではない。
 
分散によるフラット化とフラット化による薄く広がった開発構造にしていくほうが、むしろ息の長い緩やかな発展が望めるのではないか、と思う次第(ひどく感覚的なんだがね)。国土のかなり隅々までカバーしだしているネット・インフラや、ドローンのような物理的な輸送手段の現実化によった社会システムができないものだろうか・・。
 

「ノキア」ブランド消滅に思う「ブランド力」というもの

日本経済新聞のWebなどによると
 【シリコンバレー=小川義也】米マイクロソフト(MS)は24日、ノキア(フィンランド)から買収した携帯端末事業のうち、主力のスマートフォン(スマホ)のブランドについて、「ノキア ルミア」から「マイクロソフト ルミア」に名称を変更すると発表した。
 近く発表する新製品から切り替える。「フィーチャーフォン」と呼ばれる従来の携帯電話機は「ノキア」ブランドを当面使い続ける(元記事はこちら)
とのこと。マイクロソフトの公式発表ではないから、定かなことではないかもしれないが、買収の頃から名前がいつまで使ってもらえるか、といったことは取りざたされていたから、ああ、その時期が、ついに来たかといったところではある。
「ブランド名の力」ということを考えれば、今回MSが名前を使うのをやめるというのはわからなくもなくて、新技術と世界標準を示していた「ノキア」という「名前」は、すでに「Apple」や「Google」といったブランドに取って代わられているし、普及性という意味では「Samuson」いや「Xaomi」にすら取って代わられている状態なので、昔、携帯の世界標準であった「ノキア」という名前を使うのは「昔は家柄もよく云々」を表していいるだけになっているから、企業戦略としては納得がいくものではある。
一方で、ひと頃は、アメリカなどの超大国ではない、北欧の中小国であるフィンランドを世界ブランドに押し上げ、フィンランドの教育から社会体制まで、ありとあらゆることを日本は見習うべき、といった論調の根拠(例えば「フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453))
」など)になっていたメーカーであり、ブランドでもあるので時代の趨勢の変化というのはなーという思いに駆られないでもない。
ノキアの凋落はスマホ対応やら諸々理由があるだろうから、そこは識者の分析に任せるとして、思うのは、ひとつのブランドにイメージを頼ることの怖さであって、このあたり、Samusungと韓国、ひところのSONYと日本といった構図でもある。もちろん、Nokia,Samusung,SONYの業績が悪くなることは、それほどの規模の企業となれば当然その国の経済に悪影響を与えることは間違いないのだが、それ以上に企業のイメージが色あせるのが、国のイメージが色あせてくるような感じがするのだ。
このへん、ひところのGM,,GEといったイメージから何でもありのイメージとなったアメリカや、もともと企業イメージではなくてChineイメージのみの中国とはかなり異なっているように感じていて、複数のイメージを抱え込んでいくほうがかなりタフな戦略をとれるような気がしているのである。

2014年10月23日木曜日

iPad2にiOS8.1をインストールした

iOS8.1がリリースされたので、おそるおそるではあるが、iPad2にインストールしてみた。
 
「おそるおそる」というのはiOS8.0の時に勇んでインストールしたのはいいが、CPUが非力なためか視覚効果が悪さしてなんとも動きが遅くなり、iOS7に戻そうにも時間切れで戻せなくなってしまったことがよぎったため、
(動きの遅くなったことには、こちらのサイトを見てたいしょしたことはしたのだが、もっさり感は拭えないままである。)
 
インストールは、ダウンロードにもかなり時間がかかって、寝る前にダウンロードを開始させて放置、早朝にインストール。
出勤時間までにインストールが間に合わなかったので、再び放置して出勤、仕事が終わって帰宅後、挙動を確認
 
というかなり時間だけは費やしたアップグレードになった.
 
アップグレード後、操作してみるが、どうも挙動が安定しないので、一旦電源を切って再起動。
 
もっさり感はいまいち残り、アプリが起動するまでに一瞬待つ感じはあるが、、どうにか我慢して使えるレベルまでに達したような感じ。
 
視覚効果を切っているので、スタート画面はこんな感じになるのだが、慣れればなんとかなるか。

とはいっても、買い替えの時期は近いかもしれないですな。