最近、どうもアウトプットも思うようにまとまらないのだが、原因の一つには単純にインプットが足りていないからでは、と思い始めた
仕事の面で新しいことでもあればいいのだが、同じ職場で3年目ともなると新しい知識の流入は少なくなるし、今までの経緯などが付着物にようになって新しいことを入れる妨げになり始めているのは間違いない。
ただ、新しい仕事面のインプットが少なくなったとはいっても、日々のトラブル解決や業務処理は当然あるから、インプットだけはかなりの量であるのだが、自分的に目新しいものが少なくなっている状態。
何か今までとは違う情報や知識、価値観、あるいは経験が流れ込んでこないと、精神的にも、アウトプットの面でも淀んでしまうのではないかと思っている次第。
せめて時間を少しでも多く捻出して、本をより多く読むことでもしましょうか。
日本の人口最少県である鳥取県に住まう、リタイア生活の途上人の田舎の日常のあれこれ。「辺境」には地理的、意識的の二つの側面があり、 あくまで『”中心”ではない』と宣言中。このサイトは、本編「辺境駐在員の備忘録」の過去ログ+私的な記録+補遺なのであしからず
2014年4月28日月曜日
2014年4月26日土曜日
Dropsyncは秀逸
昨日のエントリーでAndroidアプリの出来がよくない的なことを書いたので、Google先生やAndroid信奉者に怒られてはいけないので、すくない利用期間ではあるが、Dropsyncは秀逸なアプリであると誉めておく。
というのも仕事にこうしたタブレットを使おうと思うとDropboxとかのクラウド・ストレージとの連携は非常に重要で、できれば仕事などに使っているファイルやデータはタブレットでリアルタイムで確認したいもの。
特に個人的にはDropboxの有料版を使って結構な量のファイルをそこに預けているので、できればそこのデータの多くがタブレットとシンクロしていてくれるとありがたい。ところがiOSの場合、Goodreaderという、いわば神アプリ的なファイル管理アプリはあるのだが、このシンクロ機能の場合はギガ超えのファイルを扱おうとすると接続がタイムアウトしてしまって、エラーがでてしまうという現象に見舞われていた。
その点、このDropsyncの場合は、設定はちょっと面倒だが、タイムアウトになることもなく、寝る前に動かしておけば、朝には立派にシンクロしてくれる、という秀逸な働きぶりである。
誰かiOSで、こうしたアプリを作ってくれないものだろうか。(ちなみにDropsyncはフル機能を使おうとすれば課金が必要だが、私は速攻で支払いました)
2014年4月25日金曜日
ほぼ2ヶ月間、Nexus7(2012 3G)を使った感想
3月にAsusのアウトレットでNexus7を買って、iPad2に替えて利用してみた感想を少し。
大きさが小さくなって、持ち運びしやすくなったのは大変アドバンテージあり。カバーを外せば、ジーンズやチノパンの後ろポケットに入るので、気軽に持ち運べる。これがiPad2となるとそうそう気軽には持って歩けないし、例えば出張中に列車の中などで出して使うときもNexus7なら手軽の片手で抱えてKibdleや自炊ファイルとかを読めるのだが、iPadとなるとよっこらせと鞄から取り出して使うことになるので、少し敷居が高い。
バッテリーのもちは3Gで自動ダウンロードやGメールの自動シンクとかでアプリを動かしているせいかiPadに比べ持ちは悪い。そこそこ使うと、出勤して3時か4時頃にはちょっとバッテリーが怪しくなっている感じ。ただ、今自分が所有しているのがWifi版のiPadで、外出時はポケットルーターで利用している環境であったので、単純にオールインワンのNexus7 3Gと比較しては気の毒というもの。
Googleとの連携がよいのはAndroid機の特徴なのだが、やはりシームレスにGメールなどと連携してくれるのはありがたい。iOSだとあれこれ設定をしないといけないので楽ちんである。
なによりもiPadに比べてうーむ、と思っているのが、仕事に使えるアプリがイマイチなこと。Goodreaderのような痒い所に手の届くファイラーがないのを始めとしてi文庫や手書きアプリなど、iOSで提供されているものに比べ機能に物足りなさがあるものやもともと提供されているものが少ない、といった印象。
このあたり、iOSはエンターテインメントの色合いが強いかと思っていたのだが、どうしてどうして汎用的で、質の高いオールラウンドプレイヤーであることを改めて認識した次第。
で、今のところの感想としては、ビジネス用途としては、携帯性の悪さをさっ引いてもiPadに軍配を上げたくなる感じで、今のところ、Nexus7は娘のタブレット入門機になりそうである。
2014年4月20日日曜日
ブログのURLの出力ファイル名
「「chikirinの日記」の育て方」を読んでいると、彼女がはてなブログを選んだ理由の一つは、ブログのURLの末尾が日付になっていて、日記としてブログを捉えた場合、日付で検索できる、ということも要因だったとある。
これはMovable Typeの場合にも応用できるのではないかと考えていて、MTの場合は個別に指定しないデフォルトだとpost◯◯(◯◯は通し番号)という形に成るので、確かに後で検索しようとすると困難なことが多い。
ブログを意見表明や情報サイトでなく「日記」「備忘録」と考えればこうしたエントリーのURL出力ファイル名は日付をいれておくのが便利なのかも
これはMovable Typeの場合にも応用できるのではないかと考えていて、MTの場合は個別に指定しないデフォルトだとpost◯◯(◯◯は通し番号)という形に成るので、確かに後で検索しようとすると困難なことが多い。
ブログを意見表明や情報サイトでなく「日記」「備忘録」と考えればこうしたエントリーのURL出力ファイル名は日付をいれておくのが便利なのかも
Kindleの電子書籍セールへの希望
ビブリオ古書堂の第5巻とか、米村穂信の作品などを含む角川書店のセールが始まっている。
Kindleの電子書籍のセールは出版社ごとでされることが多いが、いくつかの出版社が共同して、講談社や角川書店がやるような「夏のミステリーフェア」とか「冬の時代小説フェア」みたいな感じでセールをやってもらえないだろうか、と思う次第。
というのも、大概の本読みは好みのジャンルがある程度決まってきているのが通例で、コミックから時代物からミステリーから何から何までごちゃとしたセールは、正直なところお目当てのセール本が検索しづらいのが実感で、セール本特集の最後までなかなか行き着けないのが正直なところ。
あと、セール本になりやすい本があるような気がしていているのだがどうだろうか。
2014年4月19日土曜日
濃密な、あまりに濃密な三国志 王 欣太「蒼天航路」
コミック版の三国志といえば、横山光輝の三国志があまりに有名なのだが、このたび劉備玄徳の「蜀」側からではなく。曹操孟徳の「魏」側から描いた王 斤太作の「蒼天航路」を通読した。
ざっくりと感想からいうと、作者の画風の違いもあろうが、道徳臭の強い劉備側でなく、俗人臭の強い曹操側から見ると三国志というのがこんなに違って見えるのかいな、というところ。
なにせ、登場人物の行動が「濃い」のである。女性が登場すればすぐに性行為に及ぶところを始めとして、なによりも自らの欲望に忠実すぎて、そこまで欲を出さなくてもいいんじゃないの、と淡白な日本人の私としては思ってしまうぐらい「濃い」のである。
で、これは乱世の物語といえば当たり前のことでもあって、体制の保持という観点が重視される治世の時代は、生の欲望を抑えないと既存の体制そのものが揺らいでしまうのだが、乱世の時代は隙あれば既存の体制をひっくりかえしてやろうという輩ばかりで、そういうのが集まれば、まあやりたい放題の濃い世界が現出しても不思議ではない。
その意味で、乱世の時代であった「三国志」の時代を漢の再興を表向きに歌った劉備玄徳ではなく、乱世の姦雄を嘯いた曹操の視点から描いたこの作品は、横山三国志より「乱世」を強く意識した作品といってよく、様々な視点で揺らぎを見せている現代の日本における「三国志」の解釈といってもいいだろう。
ただ個人的な苦情をいうとすれば、曹操にあまりにも野心的、理想的に描かれる反作用として、劉備があまりにもだらしのない姿で描かれることが多くて、横山三国志でスタートした当方として、そのギャップに苦しむのである
ざっくりと感想からいうと、作者の画風の違いもあろうが、道徳臭の強い劉備側でなく、俗人臭の強い曹操側から見ると三国志というのがこんなに違って見えるのかいな、というところ。
なにせ、登場人物の行動が「濃い」のである。女性が登場すればすぐに性行為に及ぶところを始めとして、なによりも自らの欲望に忠実すぎて、そこまで欲を出さなくてもいいんじゃないの、と淡白な日本人の私としては思ってしまうぐらい「濃い」のである。
で、これは乱世の物語といえば当たり前のことでもあって、体制の保持という観点が重視される治世の時代は、生の欲望を抑えないと既存の体制そのものが揺らいでしまうのだが、乱世の時代は隙あれば既存の体制をひっくりかえしてやろうという輩ばかりで、そういうのが集まれば、まあやりたい放題の濃い世界が現出しても不思議ではない。
その意味で、乱世の時代であった「三国志」の時代を漢の再興を表向きに歌った劉備玄徳ではなく、乱世の姦雄を嘯いた曹操の視点から描いたこの作品は、横山三国志より「乱世」を強く意識した作品といってよく、様々な視点で揺らぎを見せている現代の日本における「三国志」の解釈といってもいいだろう。
ただ個人的な苦情をいうとすれば、曹操にあまりにも野心的、理想的に描かれる反作用として、劉備があまりにもだらしのない姿で描かれることが多くて、横山三国志でスタートした当方として、そのギャップに苦しむのである
菜園は夏に向けスタンバイ
1週間前に草を掘り起こし、肥料を投入した菜園へ植え付け。
今年は少しトマトを多めにして植え付け。
見るからにカスカスの植え付けなのだが、家庭利用としてはミニトマト5本、普通のトマト2本なので、これがうまくいけば家庭内では処理に困るほど収穫できるはず、などとささやかな希望を抱いたりする。
こうした家庭菜園の効用といえば、自分の手で耕して植え付けたものが、「実が成る」というところにある。量の多さや質の良さは置いといて(とはいっても、収穫の時には大概、こんなに沢山とれるんだー、とか、結構良い出来じゃね、といた邪心が混じるので、妙な充実感があるのは間違いない)、とにかく自分の手になるものが「成果」になる「農の実感」というものは、通常の事務の仕事ではなかなか手に入らない実感があるのは確か。
仕事のとりとめのなさに疲れたら、野菜づくりっていうのが一つの解ではあるのかもしれないですな
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